永劫へのいざないシリーズ2
1993~1995
雲岡石窟で見た北魏時代の飛天は、天の音楽を奏で、花をまきちらし、アルカイックスマイルを浮かべ、ピンクやぺパミントグリーンに彩色されて、どこか西洋のアモールに近い、底抜けに楽しい姿で空間を舞っていた。
麦積山石窟の北周時代の飛天は、天衣が瑞雲とともに流麗にたなびき、顔や手に繊細な優雅さをたたえていた。
日本の法隆寺金堂小壁の飛天は、よく天風に乗り、天衣を横に長くたなびかせ、すぃーっと舞っている。京都法界寺の飛天は、籠に盛った花や、長めに手折った花など、花も色々持ち変えて、浮遊するポーズもバラエティーに富み、見事なデッサン力を感じさせる。敦煌には男性の飛天も見られた。このように取材して、中国、日本というお国柄もさることながら、最も興味を持ったのは、その浮遊する速度と、ゆったりしたポーズからアクロバット的なポーズまでの変幻自在さであった。
仏は立つか坐るか、その存在は心の中にありながら、絵画に表現すると、物理的に、かなり定まった形となってしまう。飛天は想像の翼をひろげてもっと自由に、ロマンをこめて表現できるのではという思いでとりくんでみた。
飛天は、天空を舞い、仏の慈悲を地上に伝え、人々の願いを天空の仏たちに届ける。仏と違い、その姿はバラエティーに富み、ロマンにあふれている。
中国やシルクロードの石窟寺院、日本の寺の壁にも見事なデッサンの飛天たちが舞っている。
私は、そのより自由なイメージを追い求めた。